アイスな夜、時空を越える
夜も深まる寒い帰り道、なぜだか急に『雪見だいふく』が食べたくなった。
きっと10年以上は食べてもいない雪見だいふく。
誰かが食べてたり、ひょんにそんなポスターを見たわけでもないのに、なんで雪見だいふくなんだ。
『雪見だいふく』は、ロッテが発売したアイスクリームで、バニラアイスがだいふく風にお餅みたいなものでくるまれているという、自分が子どもの頃からずっとあるロングセラー商品である。
小学校の給食のデザートとして出されたこともあって(2個あるうちの1つ)、それを食べた時は、ほっぺが落ちるほど感動して。
休みの人の分を争奪するじゃんけん大会も、どんなデザートの時よりも白熱を極めた(いつの時代だ)。
しかし、まだ売ってるのかな?
ずいぶん見てないな。
粉がかかった真っ白いお餅にくるまれていて、はむっと食べると、ふっくらなバニラアイスが口の中でどんどん溶けてゆき。
そんな絶妙な食感と冷たさを思い出し想像していると、僕の頭はもう雪見だいふくだらけになってしまった。
ミミガーが食べたい!なんてことはよくあるのだけど、甘いものをあまり好まない自分としては珍しい現象だ。
だい、ふく、だい、ふく、ゆっきみだいふく〜
だい、ふく、だい、ふく、ふくふくゆきみぃ〜
ふく、ふく、ふく、ふく、ゆっきみだいふく〜
早足なテンポに勝手な雪見ソングまで口ずさみながらコンビニに入った。
僕は、雪見だいふくがなくってもがっかりしないように、あまり期待を持たずにアイスコーナーへ向かった。
しかし、実際はドキドキしていた。
曇りがちなガラスケースの中には、冷たさを好む渡り鳥のように、様々なアイス達がひしめき合って楽しそう。
おおー、アイスだ。
そんな中、雪見だいふくはすぐに見つかった。
だけどなんだか様子が違っていた。
それはパッケージ。あの懐かしい白と赤ではなく、きな粉色をしているのだ。
『きな粉黒みつ』
僕は2つの驚きを同時に受け止めなければならなかった。
まず一つは、雪見だいふくがまだ存在していた。
しかも姉妹品(きな粉黒みつ味)まで出ているとゆう根強い人気だったとゆう、喜び大の感動。
もう一つは、ここには姉妹品の『きな粉くろ蜜』味しか置いてなくて、オリジナルの雪見だいふくは無い。というがっかり大の現実。
この相反する二つの感情は、水槽の中の水を強くかき混ぜたように混ざりあって、頭の中でたくさんの濁りを生じさせた。
『喜び大の感動』と『がっかり大の現実』。
混ざり合った後に、果たしてどのような感情が残るというのだろうか。
やがてだんだんと濁りがとれてきて、大きな文字が浮かんできた。
がっかり。
そんなのがっかりである。
おいおい、オリジナル置いとけよ。
きな粉くろ密のパッケージはきな粉色で、薄餅とアイスに包まれただいふくの断面図の中心からは、黒蜜がとろーり溢れ出ている絵が描かれていた。
いらない!そんなのいらない。
いまいち自信がなく不合格とわかっていても、いざその『不合格』という文字を突きつけられるとやっぱりショックなものである。
例えば、あなたがふとした瞬間突然、シルべスタスタローン主演の名画『ロッキー』がどうしても見たくなったとしよう。
5つもの生卵を一息で飲み干す場面、あのテーマソング、光る汗のトレーニングシーン、「エイドリアーン!」と抱き合うラストシーン。
思い起こせば思い起こす程、あなたの頭はもうロッキーでいっぱい。
帰宅の道を遠回りして、レンタルビデオ屋に入って、ついにロッキーを見つけました。
やったぁ!
しかし、よく見るとそれは貸し出し中だったのです。
…はぁぁ〜
ふと隣に、シルベスタスタローン主演の名画『ランボー〜怒りのアフガン〜』を発見するあなた。
ねえ、借りますか?あなた、借りますか?
いいえ、借りません!
そんなショックを包み込んでくれるような出会いを求めて、他のビデオを探し始めるでしょう。
この時の僕もそうだった。
期待しないようにと向かったはずだったのに、行き場を失った僕の盛り上がりは、成仏できない幽霊のように薄白い冷気が立ちこめるアイスコーナーをさまよい始めた。
ちゃらちゃらした幾種のひしめくアイス達をスルーして、僕の目がヒタと止まった。
それはピノでもハーゲンダッツでもなく、『ビエネッタ』だった。
おおー、こ、これは、、こんなのまだあったのか。
ビエネッタは自分が幼少の頃に発売され、『アイスとケーキの融合』たしかそのような内容の売り文句だったと思う。
当時のCMでも精力的に売り出されていたこのアイスは、チョコとアイスが幾層にも重なり合って、スプーンでパリリとケーキみたいに食べるという上品なものだ。
アイスとケーキ。
こんな夢のような2つの単語が1つになったのである。
とんでもないものが出てしまった。。
CMを見た少年ありけんは、椅子の上で固まってしまった。
アイスとケーキ。
ビエネッタは、この夢のような単語を組み合わせることに成功した数少ない一品ではないだろうか。
超ビックなミュージシャンがユニットを組んでも、その曲が意外と大したことないように。
ドッチボールとバスケットボールというポピュラーで最高に楽しい二つのスポーツを合体させても、ポートボールという意外と地味なスポーツになるように。
誰もが欠かさないシャンプー。誰もが欠かさないリンス。
合体させたら『リンプー』、『チャン・リン・シャン』などどうしようないものになってしまうように。
最高なもの同志の融合は、なかなか難しいものである。
しかし、ビエネッタはこれをやってしまったのだ。
昭和の少年ありけんが、さっそくチャリで風になったのは言うまでもない。
しかし、外国人がCMに出る様なビエネッタは値段も高かった。
『ホームランバー』や『タマゴ』、『ガリガリ君』、奮発して『宝石箱』(そんなのがあった)がせいぜい手に届くという時代に(いつの時代だ)、袋ではなく箱に入ったそれは威厳高く見え、自分のお小遣いではとても手の届くものではなかったし、親に買ってくれと簡単にせがめるものでもなかった(だからいつの時代だ)。
あれからどれだけの月日が流れたというのだろう。
コンビニ袋をぶら下げた僕は、再び冬至間近の夜道を歩いていた。
気づけば師走も残りわずか。
そういえば今年のクリスマスは、なんだか騒がしくないな。
そういえば今年の冬は、なんだかあまり寒くないな。
きっと今からやね。
帰ってやらねばならないことの膨大さも、今は考えずに夜風に吹かせて。
姿の見あたらない月が放つ、薄光りのオブラート越しの冬空の下。
パリリ、あの感動をもう一度。
僕の頭の中は、もうビエネッタでいっぱい。
通り過ぎるバーからは、往年のクリスマスソングが漏れていた。
しかしこの2日後、ありけんは小分けして食べていたビエネッタを冷凍庫でなく冷蔵庫に入れてしまい。体積を2分の1に減らしてしまうのである。
【マイナスにはプラスがくっついている】
身を切るような風と、出力大の寒さの中。
いったいこんな中で頑張って何になるというのだろう。
誰が見てくれてるのだろう。
無駄な努力なのではないだろうか。
もう室内に戻ろうよ。
ふと見渡せば、夜空はダイヤモンド。
窓の内側からでは、テレビ越しでは、涙なしでは、見れない景色がある。
世界は、意外とうまくできているかもしれない。
さあ、踏ん張って。
この時代をみんなで進もう!
きっと10年以上は食べてもいない雪見だいふく。
誰かが食べてたり、ひょんにそんなポスターを見たわけでもないのに、なんで雪見だいふくなんだ。
『雪見だいふく』は、ロッテが発売したアイスクリームで、バニラアイスがだいふく風にお餅みたいなものでくるまれているという、自分が子どもの頃からずっとあるロングセラー商品である。
小学校の給食のデザートとして出されたこともあって(2個あるうちの1つ)、それを食べた時は、ほっぺが落ちるほど感動して。
休みの人の分を争奪するじゃんけん大会も、どんなデザートの時よりも白熱を極めた(いつの時代だ)。
しかし、まだ売ってるのかな?
ずいぶん見てないな。
粉がかかった真っ白いお餅にくるまれていて、はむっと食べると、ふっくらなバニラアイスが口の中でどんどん溶けてゆき。
そんな絶妙な食感と冷たさを思い出し想像していると、僕の頭はもう雪見だいふくだらけになってしまった。
ミミガーが食べたい!なんてことはよくあるのだけど、甘いものをあまり好まない自分としては珍しい現象だ。
だい、ふく、だい、ふく、ゆっきみだいふく〜
だい、ふく、だい、ふく、ふくふくゆきみぃ〜
ふく、ふく、ふく、ふく、ゆっきみだいふく〜
早足なテンポに勝手な雪見ソングまで口ずさみながらコンビニに入った。
僕は、雪見だいふくがなくってもがっかりしないように、あまり期待を持たずにアイスコーナーへ向かった。
しかし、実際はドキドキしていた。
曇りがちなガラスケースの中には、冷たさを好む渡り鳥のように、様々なアイス達がひしめき合って楽しそう。
おおー、アイスだ。
そんな中、雪見だいふくはすぐに見つかった。
だけどなんだか様子が違っていた。
それはパッケージ。あの懐かしい白と赤ではなく、きな粉色をしているのだ。
『きな粉黒みつ』
僕は2つの驚きを同時に受け止めなければならなかった。
まず一つは、雪見だいふくがまだ存在していた。
しかも姉妹品(きな粉黒みつ味)まで出ているとゆう根強い人気だったとゆう、喜び大の感動。
もう一つは、ここには姉妹品の『きな粉くろ蜜』味しか置いてなくて、オリジナルの雪見だいふくは無い。というがっかり大の現実。
この相反する二つの感情は、水槽の中の水を強くかき混ぜたように混ざりあって、頭の中でたくさんの濁りを生じさせた。
『喜び大の感動』と『がっかり大の現実』。
混ざり合った後に、果たしてどのような感情が残るというのだろうか。
やがてだんだんと濁りがとれてきて、大きな文字が浮かんできた。
がっかり。
そんなのがっかりである。
おいおい、オリジナル置いとけよ。
きな粉くろ密のパッケージはきな粉色で、薄餅とアイスに包まれただいふくの断面図の中心からは、黒蜜がとろーり溢れ出ている絵が描かれていた。
いらない!そんなのいらない。
いまいち自信がなく不合格とわかっていても、いざその『不合格』という文字を突きつけられるとやっぱりショックなものである。
例えば、あなたがふとした瞬間突然、シルべスタスタローン主演の名画『ロッキー』がどうしても見たくなったとしよう。
5つもの生卵を一息で飲み干す場面、あのテーマソング、光る汗のトレーニングシーン、「エイドリアーン!」と抱き合うラストシーン。
思い起こせば思い起こす程、あなたの頭はもうロッキーでいっぱい。
帰宅の道を遠回りして、レンタルビデオ屋に入って、ついにロッキーを見つけました。
やったぁ!
しかし、よく見るとそれは貸し出し中だったのです。
…はぁぁ〜
ふと隣に、シルベスタスタローン主演の名画『ランボー〜怒りのアフガン〜』を発見するあなた。
ねえ、借りますか?あなた、借りますか?
いいえ、借りません!
そんなショックを包み込んでくれるような出会いを求めて、他のビデオを探し始めるでしょう。
この時の僕もそうだった。
期待しないようにと向かったはずだったのに、行き場を失った僕の盛り上がりは、成仏できない幽霊のように薄白い冷気が立ちこめるアイスコーナーをさまよい始めた。
ちゃらちゃらした幾種のひしめくアイス達をスルーして、僕の目がヒタと止まった。
それはピノでもハーゲンダッツでもなく、『ビエネッタ』だった。
おおー、こ、これは、、こんなのまだあったのか。
ビエネッタは自分が幼少の頃に発売され、『アイスとケーキの融合』たしかそのような内容の売り文句だったと思う。
当時のCMでも精力的に売り出されていたこのアイスは、チョコとアイスが幾層にも重なり合って、スプーンでパリリとケーキみたいに食べるという上品なものだ。
アイスとケーキ。
こんな夢のような2つの単語が1つになったのである。
とんでもないものが出てしまった。。
CMを見た少年ありけんは、椅子の上で固まってしまった。
アイスとケーキ。
ビエネッタは、この夢のような単語を組み合わせることに成功した数少ない一品ではないだろうか。
超ビックなミュージシャンがユニットを組んでも、その曲が意外と大したことないように。
ドッチボールとバスケットボールというポピュラーで最高に楽しい二つのスポーツを合体させても、ポートボールという意外と地味なスポーツになるように。
誰もが欠かさないシャンプー。誰もが欠かさないリンス。
合体させたら『リンプー』、『チャン・リン・シャン』などどうしようないものになってしまうように。
最高なもの同志の融合は、なかなか難しいものである。
しかし、ビエネッタはこれをやってしまったのだ。
昭和の少年ありけんが、さっそくチャリで風になったのは言うまでもない。
しかし、外国人がCMに出る様なビエネッタは値段も高かった。
『ホームランバー』や『タマゴ』、『ガリガリ君』、奮発して『宝石箱』(そんなのがあった)がせいぜい手に届くという時代に(いつの時代だ)、袋ではなく箱に入ったそれは威厳高く見え、自分のお小遣いではとても手の届くものではなかったし、親に買ってくれと簡単にせがめるものでもなかった(だからいつの時代だ)。
あれからどれだけの月日が流れたというのだろう。
コンビニ袋をぶら下げた僕は、再び冬至間近の夜道を歩いていた。
気づけば師走も残りわずか。
そういえば今年のクリスマスは、なんだか騒がしくないな。
そういえば今年の冬は、なんだかあまり寒くないな。
きっと今からやね。
帰ってやらねばならないことの膨大さも、今は考えずに夜風に吹かせて。
姿の見あたらない月が放つ、薄光りのオブラート越しの冬空の下。
パリリ、あの感動をもう一度。
僕の頭の中は、もうビエネッタでいっぱい。
通り過ぎるバーからは、往年のクリスマスソングが漏れていた。
しかしこの2日後、ありけんは小分けして食べていたビエネッタを冷凍庫でなく冷蔵庫に入れてしまい。体積を2分の1に減らしてしまうのである。
身を切るような風と、出力大の寒さの中。
いったいこんな中で頑張って何になるというのだろう。
誰が見てくれてるのだろう。
無駄な努力なのではないだろうか。
もう室内に戻ろうよ。
ふと見渡せば、夜空はダイヤモンド。
窓の内側からでは、テレビ越しでは、涙なしでは、見れない景色がある。
世界は、意外とうまくできているかもしれない。
さあ、踏ん張って。
この時代をみんなで進もう!
by a_kessay | 2008-12-21 00:15